インドネシアと日常と。

U.Tokyo/UGM(Indonesia)留学  今一番食べたいのはインドネシアの露店ご飯。

2020→2021 <1>2020の振り返り

 

 新しい年がやってきた。昨年4月からずっと実家に巣篭もりしているため、冬らしさを感じられる石川県でのお正月となった。、と新鮮さを感じるのも束の間、よく考えるとこれまで年越しはいつも帰省していたことに気づいた(留学中を除く)。こんなご時世に言うことではないが、そろそろ東京での年越しも体験してみたい。

 お正月と言っても集中して休むことが苦手なため、普段通りに作業とNetflixを3:1で行き来する三ヶ日となった。年明けすぐに課題締め切りが集中しているのは、悪意しか感じられない。

 そして1月4日。活動はとっくに開始しているためサア今日から頑張るぞ、とかいう気構えは全くないのだが、これを機に簡単な目標や昨年の振り返りでも記録しておこうと思う。

 

 とはいえ、振り返りのような広大なテーマを書くのは非常に不得手だという自覚はある。どうしても”うっすい”文章に見えてしまう。この場では自分が納得できるような言語化に止め、個別具体的な話は別の場で深めたいと思う。

 では、まずは昨年の振り返りからだ。

 普段の振り返りは、大晦日SNSにて掲載している(数日後にアーカイブ入りではある)。しかし、2020年12月31日にはどうもそんな気分にはなれなかった。実りがあったと言える楽しい1年になったのは間違いないのだが、それらを「充実した素晴らしい1年でした」と発信することに言いようのない後ろめたさがあったのかもしれない。その後ろめたさとはきっと、近所だけでも生活に苦しむようになった家がいくつかあったり、ニュースで日々ネガティブなニュースが流れているのに(ちょっとした寄付以外)何もしていない無力さだったのだろう。言うまでもないが、誰かが困っているから自分が楽しんではいけない、なんていうのはなんの正統性もないロジックであり、勝手な個人的な感情である。

 前置きが長くなってしまった。こんなことを書きたかったわけではない。

 

(1)留学期間(Jan.-Mar.)

 インドネシアにて学んで遊び、心から楽しんだ。小説にするならば、「これから起こる大混乱を、その時は知る由もなかった、、、」という枕詞が付くに違いない。留学生が自分しかいないクラスで授業を履修したり、近くの島を履修したり、気合を入れてインドネシア語を勉強したり、教育施設にフィールドワークにいくなど。その時々を楽しみすぎて、再帰的な振り返りがあんまりなかったのはちょっとよくなかったかもしれない。

 そして3月、インドネシアは元々衛生状況がいまいちだから感染しないのでは、、、?という現地人の間での自虐的希望も通用せず、泣く泣く帰国する羽目になった。

 

(2)夏セメスターと読書とインドネシア語とお試し就活(Apr.~Aug.)

 東京に帰る家がないため、止むを得ず実家での暮らしを開始。振り返るとこの選択は大正解だった。一日中実家にいるなど、まさに幼稚園入園前以来である。オンライン授業も始まった。大体予想はしていたが、基本的にこちらの方が都合がいい。ゼミ形式の授業も、画面共有ができるという点では必ずしも悪いことだけではない。本当に自己研鑽活動しかやることがなかったので、ひたすら真面目に取り組んだ。ついでに関連書籍なども大量に買いあさって本の虫と化した(これは現在まで継続)。インドネシア語も真面目に継続して取り組んだはいいものの、7月の検定試験は体調崩壊で受験リタイアしたのはいいネタ話だ。リベンジは今週末なのでしっかりやりたい。

 勉強系とは一線を画すが、サマーインターン参加という就活の前哨戦のようなものも少しは取り組んだ。3社ほどに参加し、どこにおいても就活や就職後のために必要な学びを得られたのは有意義だったと思う。一方で、就活の中での常識のいくつかに対してはいまだモヤモヤが取れないままだ。それが気持ちよく就活に全力で取り組めていない理由だな、と今になっても思う。現実は現実としてちゃんと取り組んだ方がいい、という意見は至極もっともだである。この点については別の場所でまともに書く。

 また、どのパートで書くべきか微妙なところだが、夏と秋を通していくつかのコンテストにも取り組んだ。全てをオンラインで行うのは新鮮だったが、やはりどこかにオフライン要素が欲しい、と思ってしまったのはいつかは刷新される価値観なのだろうか。ともかく、参加したうち一つの「日銀グランプリ」では第二位の賞として3万円をいただいた。どうせなら造幣局の使用権限が欲しいものである。

 

(3)国家総合職試験と旅行(Sep.~Nov.)

 国家公務員、いわゆる官僚を目指すかどうかは個人的にずっとつきまとう悩みだった。だった、は不適切だ。悩みである。この問題が比較的難しいのは、現状の情勢に鑑みるに、「自分の価値観やりたいことと適合している!!」という理由だけでは安易に進むことが危うい体と思う。とは言っても官僚としてやってみたいこと自体は存在するので、教養区分と呼ばれる採用試験に取り組んだ。詳細は別の場でまとめようと思うが、なんとか合格を掴んだ。残りは6月の官庁訪問(最終面接)である。真面目に自らと向き合う中で覚悟を決めて望みたいところだ。

 この期間は、一時的にGo To機運が高まった時期でもあったので、旅行にもたくさん参加してストレス解消だった。中でもどこでもドアきっぷというJRのチケットで、3日間新幹線乗り放題(¥11000)はもう圧巻である。いくらオンラインの経済合理性が高まっても、人間としてのオフライン交流の大切さを改めて思い出した。まあ、シンプルに楽しいという話である。

 

(4)学習の方針固めなど(Dec.)

 最後の1ヶ月は、それまでの軌跡を再帰的に振り返りつつ、方向性を修正し始める期間でもあった。ひとまず官僚の試験に区切りがついたというのも大きい。具体的には、基本情報技術者の学習・統計の理論と実践・インドネシア語を「スキル」として励む方向性とした。卒論もそろそろ行動し始めなければ教授に何か言われそうである。もっとも自粛圧力が強かった春先のように、ひたすら家で学習や調べ物を続けるのが習慣づいた。ちなみに上で触れた「日銀グランプリ」の決勝プレゼン大会、唯一のオフライン機会がこの月にあったのだが、日銀本店から(石川居住のため)出禁を食らうというハプニングも発生した。



 一思いに時系列で羅列してみたが、書いてみた感想は、「書いてみると意外と薄いな・・・」。いわゆる”コンテンツ”という観点からみると幅が広いとは言い難い。当然ではあるが。もっとも、自らの主観では非常に重みのあった年だったわけだが、その内実を総括という形式で次から記述したいと思う。