インドネシアと日常と。

U.Tokyo/UGM(Indonesia)留学  今一番食べたいのはインドネシアの露店ご飯。

2020→2021 <2>2020総括と2021へ

改めて、2020年とはどのような年だったか。ここでは社会で起こったことと前項で記述した自らの行動、双方を踏まえながら文をしたためていく。

 コロナウイルスとの年になった2020年、既に多くの専門家の方達ー政治学・哲学・医学・社会学など多岐に渡ってー、が綺麗な言葉でまとめてくださっている。それらにケチを付けようなどというつもりは毛頭ないというか、こんな表現を使えるようになりたいものだといつも思っているのだが、あえて自らの主観と引き出しから言葉を掘り当てるならば「社会の”矛盾”がこれでもかとばかりに可視化された」とでも形容したい。この緊急事態(あえてそう表現する)にて困窮者は増加する一方、なぜかアメリカでは富裕層の資産が増加している。自由と民主主義を誇り高きレジームとして持っているはずの国々にはコロナ禍が深刻な傷を与え、非民主主義レジームを持つ中国は既に”日常”へと回復している。カリフォルニアやオーストラリアでの森林火災は、これまで環境破壊を精一杯周縁化してきたバックラッシュなのかもしれない。もちろん自分も同等に罪を背負っている。国内では統治の機能不全が象徴的だが、まあこれは今年限りの特徴ではない。

 おそらく後世の歴史入試必出問題となるであろうこれらの状況を、自分は基本的にインターネットを通じて観測するにすぎなかった。なまじネガティブイベントへの共感性だけは高いためにしんどく感じることも多かったわけだが、特に当事者に寄り添うことはせず自らにとって”重要性の高い”活動にただ勤しんでいた。朝井リョウ「何者」のラストシーンで詰められる主人公のようである。もっとも、何も法を侵しているわけではなく遊び呆けているわけでもないので他人に怒られる筋合いがあるわけではない。これはきっと、社会のみならず自らにも存在する”矛盾”との葛藤なのだと思う。目の前の困窮者を前に何も行動せず、公のことを考える立場につく資格が自らにあるのか。無能な善意が地獄への道を用意するとはいえ、考え(力をつけ)ながら行動するという選択肢もあって良いのではないか、など。自らをメタ認知しすぎているのかもしれない。

 じゃあそんなお前はどんな方向性で2020年を過ごしたんだよ、という話に行き着くわけだが、基本的に自分は「何者でもない大学生という期間に大きな価値がある活動をする」というスタンスを大切にしている。入学後2年半ではできるだけ多様な経験を取り、そのあとの留学で異国の土地に住む経験をした。双方とも貴重なものだったのには今さら疑いの余地はないが、そんな中でずっと欠けていたものは「経験の相対化」だったと捉えている。自らの言葉でとった経験を言語化し「体験」と言えるものに変換するところまでは良いのだが、それらを社会の文脈で捉え直した時、どう定義できるのか表現できる言葉・概念を持ち合わせていない。母国語の言語能力の貧弱さに気づいたのは良いことだと思う。さらに述べると、また新しい経験を取ろうと思うにつき、だんだんとただ経験をとることに億劫になる自分がいたことも事実である。何もわからないままに行動だけをすることへの言いようのない気持ち悪さ、とも書けるかもしれない(もちろん、単純な自らの怠惰やプライドが邪魔をしていた面も少なくはない)。少し逸れるが、こうした社会と自己のあり方の関係についてもフーコーの言葉などを用いて綺麗に表現したいものだ。残念ながら、そんなストックはまだ持ち合わせていない。

 とにかく、帰国後はできるだけ多くのインプットを摂取するよう務めてきた。特定の学問分野で学ぶというよりは、自らの疑問に近づけるようにという目的の下、多様な本や講義などに取り組んだ。今になって思えば、多様な経験を(そこでのアウトカムに拘らず)とるということは、社会・ないし世界に対する問いを再構築するという意味合いも含みうるかもしれない。言葉にして見れば当たり前の話である。結局、本の冊数だけでみると135冊ほどの読書量(小説は含まず)となった。重めの本も多かったので、個人的にはがんばったのではないかと自己満足に浸っている。そうこうする中でだんだんと自らと社会、この2者を有機的繋がりとして言語化することが可能になってきた。ブログを書いていこうと思えたのもこれが原因である。また、これからの世界のトレンドをただ受け入れるのも嫌悪感を感じ、情報や統計に関する学習も始めている。こう書くとネガティブすぎる動機だが、非常にやって楽しいことも強調しておきたい。高校時代は理系科目の方が数段得意だったことを思い出す。間違ってもきらびやかのものだとはいえないが、とにかく2020年の注力領域をあげよと求められたら上記に尽きる。

 

 最後に2021年の目指すところを記録しておこうと思う。今まではどこかに書き留めて置くだけで、1年の中で何らかの大きなイベント前なんかにはっと思い出す程度だったのだが、ネット上に書き込むことでもう少しの(内心での)存在感を期待したいな。

(1)こんな風でありたい、いわゆるTo be視点

・自発性を超えて内発性へ

感情を鍛える、取り戻す

 

あまりに抽象的な自覚はあるが、詳細は別の場にでも記載したい。あえてここで一言でまとめるならば、「できるだけ多くの物事に対して、打算性を超えた内なる衝動として取り組めるようになる」と言ったところだろうか。

 

(2)こんなことをしたい、いわゆるTo do視点

・就職先を納得感持って確定させる。

・統計・情報技術の資格を取得する。

・英語インドネシア語の実用面でのレベルアップ

・自らの意見のブラッシュアップと発信

 

個人的には、目標にはこれらに加えて「to achieve」があって良いと思っているのだが、この点ははっきりと定められていない。情けないことだが、どれだけ文章で着飾ってもまだ自分はしょうもない人間らしい。

 

 気が向くように、しかし構造的に記述することを心がけたが、エッセイにしては堅苦しく何かの意見文にしては体裁をなしていないように思える。友達に何人か素晴らしい文章を書く才能を有している者がいるので、近いうちに教えの一つでも請いたいところだ。謙虚なスタンスを守りながらも、もっと自らの意見や考え方を、経験や事象と結び付ける形で文章化していきたいなと思っている。本文でも触れたが、2020年がそのための準備期間だったと言いたいものだ。